セルフジャーニーを捉える観点の最も基礎となる「頭のない視座としてのセルフ」を解説します✨
- 「あなたは誰ですか?どんな存在ですか?」と聞かれたら、あなたは何と答えるでしょう?
- では、セルフとは一体誰のことだと思いますか? 書き留めてみてください。
今日ご紹介するのは、共感セルフ・ジャーニーで意味するセルフを体験するアプローチの、あくまで一つです。
このアプローチは、ダグラス・ハーディングの『頭のない道』を参考にしています。興味のある方は、
https://www.youtube.com/channel/UC6vvvaLM8UB4Q6J7anPbmRA
に、このアプローチによるより詳しい練習や実験が日本語訳されてありますので、是非ご覧ください。
①「頭のない視座」がいつでも今ここに在ることに気がついてください。
「頭のない視座」というのは、左の絵のように見ている視座のことです。独特な表現で面食らうかもしれませんが、実はいつでも今ここに在って、絶えず、夜夢を見ている時でさえも、実は目をつぶっていても、この「頭のない視座」が体験されていることが、認められるでしょうか?
もしかしたら「主観」という言葉が、通常は使われているかもしれません。ただし、「主観」ではない「客観」が一体どんな視座なのか?を丁寧に吟味する必要があります。
例えば、僕には「客観的世界」とか「客観的宇宙」と言って思い浮かべる視座は、先ほどの「頭のない視座」の上に想像する以外の方法では見つけることができないのです。
皆さんは、どうでしょう?
② 右下図の手の人差し指が指し示す先にあるのは何ですか? じっくりよく注意を向けてみてください。
それは、どんなものでしょうか?
色・形はありますか?
どのくらいの大きさでしょう?
あなたが子どもだった時から、
どこか変化したでしょうか?
…
もしかしたら気づくでしょうか?
不動不滅のセルフ(無我、空、真我とも呼ばれます)の存在に…
もしかしたらあまりにシンプルで当たり前の存在なので、セルフを見落とす可能性があります。そして実は、私たち人類はこのシンプルな当たり前のセルフの存在を見落とし続けているのです。
この練習は、どこでもできます。電車の中、仕事場で、家庭の団欒の時、普通に喋っていても、ただ自分の耳を目の前の誰かのフィーリング(感情や身体感覚)とニーズに傾けてみましょう。
その時、私と同じようにその誰かにも「頭のない視座」が目の前に開けていることを思い出してみましょう。今この人は「頭のない視座」をどんな風に体験しているのでしょうか? それはどんな経験なのでしょうか? 外側からその人の姿を見て共感することから、注意をこの「頭のない視座」の経験への興味に移行してみるのです。そうすると…
どんなフィーリング(感情や身体感覚)が聴こえて来ますか?
どんなニーズが聴こえて来ますか?
それを経験しているのは、一体誰でしょう?