輪廻転生をどう捉えるのか?〜その最初の糸口✨

頭のない視座としてのセルフ、気づきそのものが<私>だと捉えたその理解から、
「死後の意識体験」あるいは「生まれる前の意識体験」、つまり「輪廻転生」をどう捉えることができるだろうか?

この問いかけは、
頭のない視座としてのセルフ、気づきそのものが<私>が、
今までも全く変わらず在り、今ここに在る、そして今後も全く変わらず在る、
「生まれもしない死にもしない」永遠な存在として<私>が知覚されるからこそ、
妥当だと思う✨

体験の中身は、
「やって来ては過ぎ去って行く(come and go)」体験として刻々と変わる…

不動で不変なセルフ〜気づきそのものは、
「死」という瞬間にも同様に不動で不変であり、
おそらく…
全く新しい質の何かが「やって来て」、
慣れ親しんだ質の多くが「過ぎ去って行く」体験をするのだろうと想像できる。

目を使って見ていた視覚、耳を使って聞いていた聴覚、肉体の器官を使って得ていた近くは失われる…
というか今ここにおいて「やって来なく」なるだろう。

例えば、言葉はどうなるのだろうか?
おそらくしばらくは言葉は使えるかもしれない。

このように、頭のない視座としてのセルフ、気づきそのものである<私>としての意識から出発して、
ルドルフ・シュタイナーが「死後の体験」をどのように述べているか?
を理解しようとすると、
とても解像度が高く興味深いことが見えてくるのです🙏

(続く)

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